Novel

作品02:2話

坊っちゃん:夏目漱石

 この外いたずらは大分やった。大工の兼公《かねこう》と肴屋《さかなや》の角《かく》をつれて、茂作《もさく》の人参畠《にんじんばたけ》をあら した事がある。人参の芽が出揃《でそろ》わぬ処《ところ》へ藁《わら》が一面に敷《し》いてあったから、その上で三人が半日|相撲《すもう》をとりつづけ に取ったら、人参がみんな踏《ふ》みつぶされてしまった。古川《ふるかわ》の持っている田圃《たんぼ》の井戸《いど》を埋《う》めて尻《しり》を持ち込ま れた事もある。太い孟宗《もうそう》の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧《わ》き出て、そこいらの稲《いね》にみずがかかる仕掛《しかけ》であった。そ の時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒《ぼう》ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿《さ》し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っ ていたら、古川が真赤《まっか》になって怒鳴《どな》り込んで来た。たしか罰金《ばっきん》を出して済んだようである。
 おやじはちっともおれを 可愛《かわい》がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓《ひいき》にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居《しばい》の真似《まね》をして女形《おんな がた》になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌《ろく》なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云っ た。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役《ちょうえき》に行かないで生きているばかりで ある。
 母が病気で死ぬ二三日《にさんち》前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨《あばらぼね》を撲《う》って大いに痛かった。母が大層|怒 《おこ》って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊《とま》りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知《しらせ》が来た。そう早 く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人《おとな》しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのため に、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜《くや》しかったから、兄の横っ面を張って大変|叱《しか》られた。
 母が死んでからは、おやじと 兄と三人で暮《くら》していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目《だめ》だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分 らない。妙《みょう》なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくな かった。十日に一遍《いっぺん》ぐらいの割で喧嘩《けんか》をしていた。ある時|将棋《しょうぎ》をさしたら卑怯《ひきょう》な待駒《まちごま》をして、 人が困ると嬉《うれ》しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間《みけん》へ擲《たた》きつけてやった。眉間が割れて少々血が出 た。兄がおやじに言付《いつ》けた。おやじがおれを勘当《かんどう》すると言い出した。

 

青空文庫より

 

(終わり)